フユ

 真冬の山小屋。三人は床に座り身を寄せながら寒さを耐え凌いでいた。

「ううぅぅ…寒いよ〜…」

 南国生まれの立浪謙吾にとって、北国の寒さは到底耐えられるものではなかった。普段のお気楽な言動や態度は今や見る影もなかった。元々小柄な体格が余計縮こまったかのように見えた。
さらに、追い討ちかのように立浪に対して冷たい言葉が向けられる。
「元はと言え、お前のせいだろうが!」葛城一弥は立ち上がり、立浪を怒鳴り付けた。誰がどう見ても体育会系の大男である葛城はその見た目通りに沸点がとても低い男である。そして、立浪のせいで何時に増してもイライラしていた。
「やめろ。そんなことしている場合じゃないだろう」宗谷伊一郎は冷静に今にも立浪に殴り掛かろうとしている葛城を止める。眼鏡を掛けたクールなキャラという設定がよく似合う程、宗谷は冷静な男であった。
「わーったよ…」葛城はそう言うと再び床に座った。

 何故こんなことになったのか。ことの始まりは先月一月のことであった。
卒業間際のこの頃。やっと企業からそれぞれ内定が出た三人は、内定祝いに何かをしたいと考えていた。普段はあまり意見を言わない宗谷が珍しくスキーをしたいと言い出すものだから、立浪と葛城はその意見に乗り、三人は東北の某スキー場まで旅行に来ていた。それは本来であれば二泊三日の楽しいスキー旅行になるはずであった。
 しかし、今の三人のその顔には、『楽しい』という表情は無かった。代わりにあったのは、『不安』『焦り』そして『絶望』の表情であった。
スキーの最中、普段以上に興奮していた立浪はついはしゃいでしまいコースを外れてしまった。それを追い掛ける葛城。そして二人を止める宗谷。始めは誰もがこのやり取りを純粋に楽しんでいた。
 だが、その気持ちは次第に近付く曇り空と共に不安へと変わってゆく。気付かないうちに三人は人里離れた山奥に入っていたのだ。それは本来あるべき雪山の姿というべきであろうか、人間の何倍もの高さの雪山が積もりに積もっていた。
そして、気紛れな山の天候は急に三人を襲った。三人は鉄砲水のように襲い駆ける吹雪にたまらず、身を隠せる場所を探した。こんな雪山でも春はそれなりに登山客がいたお陰だろうか、偶然にも雪に埋もれた山小屋を見つけた三人は雪が止むまでそこで待つことにした。

「とりあえず、ここにいれば大事には至らないだろう」
「まぁ、とりあえずな…」
 息が詰まりそうなほど苦しい沈黙が暫く続いた。まるでこの山小屋だけ世界から孤立してしまったかのようであった。しかし、その沈黙を最初に破るのはやはり立浪であった。
「寒い…何か話そーよ。黙っていると余計に寒いよー」身体をガクガクと震わせながら立浪は言う。
「あぁ〜そうだな。かったりぃけど黙ってるよかマシだな」
「それもそうだな。僕も賛成だよ」
 特に他にやることもなかったため、二人ともすんなり承諾した。
「マジで〜? やっぱこーゆーときは恋バナっしょ! 好きな子の話しよーぜ!」立浪が本来の明るさを取り戻し言った。
「お前は中学生か! 大学生なら趣味とかバイトとかゼミとか話すこと沢山あんだろ!」すかさず葛城がツッコミを入れる。
「え〜だって、定番っしょや、やっぱ〜。いいじゃんか…」
「まぁ、気持ちは分からんでもねぇけどよぅ」葛城は少し言い過ぎたと思ったのか、少し立浪の意見に同調した。
 すると、またもや意外なところで宗谷が割り込む。
「そうだね。学校行事では定番かもしれないね」
「でしょでしょ!」
 嬉しそうに立浪は声をあげる。
「でも僕らには決定的な問題点がある」
「「問題点?」」

「三人とも誰も彼女がいない」

「「「……」」」

 先程とは異なる微妙な空気と沈黙が続く。
「す…すまない…」さすがに堪えられなくなったのか、宗谷が口を開く。すると意外な空気が流れ出した。
「ぷ…くくくく…」「ハハハハハ!」
 二人は申し訳なさそうに謝る宗谷の姿を見て、つい声をあげる。
「な…何がおかしいんだ」
 普段は冷静な宗谷も動揺を隠し切れなかった。
「まさか、宗谷がそんなギャグをやるとは思わなかったぜ」「ホントホント〜冗談とか言わなそうなタイプだよねー」と二人は腹を抱えながら笑った。
「いや、別に僕だって冗談が嫌いな訳じゃないさ」少し照れたように宗谷は顔を隠す。
「でも、あと数日でみんなバラバラになっちまうんだよな…」

「「「……」」」

「うぉ…わりぃ。ガラでもなかったよな」と、葛城は突然しおらしく言った。その言葉はいつもの大柄な体格を、か弱い少年のように映した。
「そうだね。誰だっていつかは巣立ってゆくものさ」宗谷は諭すかのように言った。
三人とも本当は分かっていた。これが学生最後の思い出だということを。でも、それを口にしてしまうと、折角の楽しい旅行に水を差してしまうと誰もが思っていた。

――ボンンッ!
 またも沈黙が続くと思いきや、突然奥の方から物音が聞こえた。それは部屋の奥の方であった。
「えぇ!? なに…? いまの音?」立浪は両手を頭に抱え、震えながら言った。
「どうせ、吹雪か何かの揺れのせいで何か崩れたんだろ」と、葛城は勇敢に物音の方へ向かって行った。「って…うぉ!!」そして、急に驚いた表情を見せる。
「どうした! 葛城!」すかさず、宗谷も立ち上がった。
「いやぁ…何か知らねぇ奴が…いる…」「は?」宗谷は素っ頓狂な声を上げる。窓の向こうには、白いスキーウェアを纏った人がいた。こんな吹雪だというのに帽子も被っていないため、長い髪がとてもなびいていた。葛城達の同じくらいの年齢だろうか、見方によっては少女にも大人の女性にも見えた。
「何してんだアイツ?」「きっと、僕等みたいに遭難しているに違いない」二人は窓の向こうを見ながら言った。
「え…何があったの?」事態を把握できていない立浪が窓に近寄る。
「だから…うぉ!」

――ボンンッ!
「何しているんだあの子は!?」「何々…!?」
 急に窓から先ほどの音が鳴る。窓には丸めた雪玉が張り付いていた。どうやら、それは少女が投げたもののようであった。
「からかってんのかアイツは? んなことやってる場合じゃねぇだろうが!」葛城は怒りをあらわにして言った。そして、少女は白銀の中へ消えて行った。すると葛城は立ち上がりドアの向こうへ駆けた。
「何処に行くんだ葛城!」宗谷は声を荒げて言う。
「助けに行くに決まってんだろ!」と、葛城は罵声をあげながら言った。
「でも、こんな吹雪だよ? 危ないよ!」「立浪の言うとおりだ。吹雪を甘くみるな! ミイラ取りがミイラになるだけだぞ!」と、二人が呼び掛けにも応じず、葛城は飛び出して行った。
「「葛城―!!」」
 二人は急いで葛城を追いかけた。すると、少し走っただけなのに、振り向くと来た道がもうどこなのか分からなくなっていた。
「ホワイトアウト…」宗谷はポツリと言った。それは、いつか何かのテレビ番組で見た、雪山にて視界が全て真っ白になり、方向感覚が失われてしまう現象であった。
「葛城ー! どこいったー!」「葛城ィ!! 何処だ!!」二人は懸命に葛城の名を呼んだ。
 ミイラ取りがミイラになる。今さっき宗谷が葛城に言った言葉であったが、それがこんな形で自分に返ってくるとは思いにもよらなかったと、宗谷は強く思った。同時に、スキー場で二人がコースを外れた時に何が何でも止めるべきであったと後悔した。
「うぐっ…絶対に僕から離れるなよ! 立浪!」と、振り向いた先には白い世界しか無かった。言葉は吹雪の向こうに空しく消えていった。そこでやっと宗谷は自分一人だということに気付く。
「何処だ! 何処に行った立浪!! 葛城!!」いつもの冷静さはもう無かった。日ごろ、冷静さを取り繕っている者程、それを失ったときの反動は激しかった。宗谷にはもう何一つ見えやしなかった。

 一方、葛城も同じく視界を失って彷徨っていた。
「くっそぉ!! 何処だコノヤロー!!」と葛城は大声で独り言を言った。目の前に少女の姿は無く、やはりあるのは白い世界のみであった。
「何でこんなことに何だよ!!! チクショウ!!!」葛城は四つん這いになり叫んだ。先ほど立波に勝手なことをするなと言った手前、自ら招いた軽率な行動を後悔していた。
「人のことは言えねぇな…」と、目をつぶりながら言った。

 白銀の壁は、三人をそれぞれ別の空間に孤立させた。それは、まるでこの世界にはもう自分一人しか生き残っていないのではと思わせるものであった。

「みんな…どこに行ったの…? ねぇ…おいて行かないでよ…」立浪は涙をボロボロ流しながら言った。
 楽しいはずのスキー旅行がどうしてこんなことになってしまったのだろうか。どこで間違ってしまったのか。立浪はそれを全て理解していた。これらは自ら引き起こしてしまったことだと。あの時、自分が浮かれに浮かれてスキー場のコースを外れてしまったからこのようなことになったのだと、悔いていた。
「みんなー!! どこに行ったのー!! いっしょに帰ろうよ!!!」立浪は泣き叫んだ。
 すると、突然大きな揺れが起こった。
「え…何…?」と立浪はあたりをキョロキョロさせた。

――バキィィイイ!!! ガシャーーーン!!!
 木材がへし折られるような音とガラスが割れる音が響く。

 白く大きな壁が三人を襲った。三人は悲鳴を上げる間も無く、大きな壁に飲み込まれていった。
 そして、三人は意識を失う直前に白い少女の姿を見た。

――翌日。
 三人は病室のベッドで奇跡的にも一命を取り留めた。というより、ほぼ無傷であったのだ。あの後、救助隊が駆けつけた際、三人は同じ場所に固まって意識を失っていたらしい。
 そして、あの日あの場所で吹雪があったことも、雪崩があったこともまるで夢であるかのようであった。さらに、三人が身を寄せながら寒さを耐えていたあの山小屋の存在すら無かったという。
「宗谷? おきてる?」三つ並んだベッドの真ん中にいた立浪は窓際の宗谷に声を掛けた。
「あぁ。起きているよ。それにしてもあれは一体何だったんだろうね」と、不思議そうな表情を浮かべながら宗谷は言った。
「葛城? 死んでる?」と、続いて立浪は葛城に声を掛ける。
「何で俺だけ起きてるでも寝てるでもなくて、死んでんだよ!!」といつものように罵声を浴びせながら葛城は言った。
「へへへ…」と立浪は笑顔を見せた。
「ありゃー夢だったのか?」「夢だったら同じ夢は見ないだろう」と、宗谷は冷静に返す。
「ってか、おれら結局ただ雪山で寝てただけってことじゃん」笑いながら立浪はそう言った。
「はは…馬鹿みたいだな僕等」と、宗谷は自虐気味た笑いを浮かべた。
「まっ…忘れられない思い出にはなったんじゃねーか」と葛城が言うと、二人ともそうだなと納得した。
「そういえば、さっき救助隊の人に聞いたのだけれど、十年前あの場所に雪崩に巻き込まれて亡くなった人がいたらしいね」と宗谷は天井を見上げながら言った。
「そうそう。それに昔はあの場所に山小屋があったみたいだね」「ん? 何ださっきは狸寝入りしていたのか?」と宗谷は立浪の方へ顔を向けクスリと笑いながらいった。
「まぁーようするに、幽霊でも見たんじゃねーかということだろ?」「そうなるね。でも微塵も不思議と怖いとは思わないな」「あ! おれもおれも!」と立浪は上半身を上げ、はしゃぎながら答えた。
「まぁー俺達に雪山はあぶねぇーって教えてくれたんじゃねーか?」
「きっと、そうだろうな」
「良い、幽霊なんだねきっと」

 そして、暫く沈黙が続く。あの時の沈黙とは異なり、今度は穏やかな時間が流れた。

「なあ?」と、唐突に宗谷が口を開いた。そして「また来年同じ時期に三人でスキー旅行に行かないか?」と提案した。
 来年の今頃と言えば、すでに三人はそれぞれがバラバラの場所で働き、そろそろ一年目を終える頃であった。それぞれが仕事でなかなか会えないのを承知で宗谷は訊いた。しかし、葛城も立浪も悩む要素など一つもなかった。
「もちろんだとも!」「いくいく! 絶対にいく!」と二人は意気投合していた。「あぁ、絶対な!」

 冬の雪が溶けて、春が訪れ、夏が訪れ、秋が訪れ、そして、また冬がやってくる。
 そんな当たり前のことだけれど、三人はまだ雪が溶けるには早いこの時期にもう来年の冬を待ち望んでいた。それはきっと、来年も再来年もこの日を思い出す度に同じことを言い続けるのだろう。


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